国の能力

日本の機械工業の発展を支えた国の基盤条件

立ち遅れていた日本の機械工業は、なぜ、短期間に国際競争力を高めることが出来たのか。最初の日米貿易摩擦(1972年)となった繊維製品について、アメリカ側の批判の第一は国の産業政策による優遇であった。しかし、これは事実とは異なっていた。その後も繰り返しに日米間に貿易摩擦は起こったが、それ以降、国の優遇、支援を非難されたことはまったくなかった。

機械産業について、私たち東レ経営研究所が関連企業の担当者を対象に行った意識調査の結果は次のとおりである。1972年頃を境に産業の国際競争力を支えた要素は大きく変わった。日本的と言われた産業政策や労働者の質が効いていたのは72年以前のことで、円高トレンドの時期は、市場環境、経営戦略、企業間連携、技術力が競争力を鍛えたと関係者は認識していた。これは機械産業だけではない、どの業種にも共通している。

図表4-4-1 日本の機械工業の国際競争力を支えた要素

競争力の向上を支え要素復興期

(~60年)

高度成長期

(60~72)

基盤変動期

(72~85

内需転換期

(85~)

経営環境激しい企業間競争
厳しい顧客の存在
産業政策
経営戦略マーケット重視
企業間の連携部品メーカーの強さ
技術力新技術に対する貪欲さ
海外からの技術導入
労働者の質終身雇用による高い定着率
仕事への情熱、向上心
賃金などの雇用条件

注) ◎:効果が大、○:効果あり、△:若干の効果あり、-:ほとんどなし

 

ポーターのダイヤモンド構造とクラスター

経済学者M・ポーターは国際間の産業同士の競争について、事例研究を大規模に行い、『国の競争優位』と題する大著を表した。これが競争戦略論の原点である。

彼は、ある国の産業の国際競争力は、「企業の戦略・構造、ライバル間競争」「国内市場の規模と質」「生産要素の相対的地位」「関連支援産業の水準」の4つの要素によって決まると結論した。この4つの要素の相互関係を彼はダイヤモンド構造と言った。国際競争でよく議論される国の優遇・支援策や為替の影響は少ないのである。これは機械工業の発展段階に対応した東レ経営研究所の調査結果と共通している。

ポーターは地域の産業を特徴付けるダイヤモンド構造を「クラスター」と言った。クラスターとは、ある特定の分野における相互に結び付いた企業群と関連する種々の機関からなる地域的に近接したグループであって、構成する企業群や機関は共通性と補完性で結ばれているもの、と定義している。彼はクラスターがその構成企業の生産性とイノベーション能力の向上に優位に働くと言った。

日本でも、古くから地場産業と言われるものがあった。小規模な企業が一定の地域に集積し、中核企業を中心に高度な分業体制を築くことで、強い競争優位を発揮してきた。たとえば、北陸地域の長繊維織物、鯖江のメガネフレーム、三条・燕の金属加工などは現在でも国内はもとより、国際市場でも力を発揮している。これらもクラスターである。

合成繊維、合繊織物では、実質的に「製品の高度化」で国際競争力を維持した。その代表的な例が「新合繊」。これは欧米の合成繊維メーカーのどこもが考えもしなかった新製品である。と同時に北陸などの繊維加工業者のクラスターの強みが発揮された代表的な事例。繊維加工業者が育っていない韓国も中国も作ろうとしても作れなかったと言われた。

 

新合繊と合成繊維織物クラスター

この事例の面白さは、そこに組織やリーダーシップ、そして、統一された戦略さえもがなかったこと。天然繊維を超えるというビジョンに導かれ蓄積されてきた技術体系とマーケッティング・センスの中から自然に発生したものだった。

「新合繊」はポリエステル長繊維の衣料用高感性の後染め生地の総称。1989年の京都スコープで発表された合繊各社の新製品を見て、マスコミが名付けた。1企業の新製品の名称でもなく、合繊業界が協調して開発したものでもない。この時期に一つの共通したコンセプト“天然繊維を超える新しい質感”で括られる新製品が偶発的に群をなして出現したのである。「新合繊」は戦後の合繊業界の歴史で屈指のブームとなった。国内だけでなく海外のファッション業界でも、SINGOUSENで通用するまでに成功し、欧米向け輸出の主力製品となった。化合繊は100年前の発明以来、ずっと天然繊維の模倣の域を出なかったが、新合繊にして初めてこれを超え、新しい質感の創造に成功したと評価された。

製法も各社さまざま。原糸では、原繊改質型、加工糸型に大別され、織編組織では、ジョーゼット、無撚、厚地、ジャージーの4区分。製品の感触では、ピーチスキンタイプ、疏毛タイプ、レーヨンタイプ、シルキータイプということになる。ピーチスキン、パウダーダッチなどのコピーが使われた。

新製品開発の背景には、(1)業界全体が新製品開発を追い続けてきたこと、とくに、天然繊維を超える合成繊維の開発は一貫した夢であった、(2)アパレルファッション業界でも天然繊維にも飽きがきて目新しい素材を待望していたこと。(3)業界とマスコミの上手なマーケティング活動があったこと、など。80年代の後半に8社が衣料用素材としてポリエステル長繊維のキャンペーンを連携して行い、化繊協会では、サンプル帳の作成・配布、展示会への参加など広報活動で声を大きくバックアップした。

各社の長年の開発成果の蓄積が結集した。たとえば、東レの和装用シルック、鐘紡の眼鏡拭きであり、とくに86年に上梓された東洋紡の「ジーナ」などは後の新合繊の嚆矢であった。

「新合繊」は、日本独特の川上から川下の垂直的統合(合繊メーカー/撚糸業者/織布業者/染色加工業者等のタイアップとリンケージ)による新規製品の開発システムによって生み出された。各分野の技術の優れたチャンピオン企業のネットワークの成果であった。事実、新合繊独特の質感をサンプル生産ではなく量産規模で出すことは相当の技術とノウハウを要する。小松精練は合繊長繊維の染色加工では我が国のトップ(ということは世界のトップということ)、90年代初頭では新合繊の70%を加工していた。

こうした新合繊の製造ネットワークはテキスタイルに止まらず、有力コンバーター/縫製工場/アパレル企業レベルでも提携し、情報の共有化を図ったことが成功のポイントであった。繊維産地、産地企業の競争力の強さとネットワークの良さが基盤にあること。しかも、その背景には合繊メーカーのプロダクション・チームの存在を見逃すことは出来ない。事実、海外では「新合繊まがい」は市場に出回っているが、日系企業以外では製造できていない。

用途分野は拡大したが、国内市場のブームは約5年で収束した。競争で差別化が困難となり訴求力が落ち、国内市場では当たり前の製品になった。しかし、欧米への輸出では完全に定着し、中高級素材として着実に需要は増加しいている。〔化学繊維協会〕

合成繊維長繊維の生産は地域的に集まってはいないが、織物への加工工程は石川県、福井県周辺に技術力の高い企業が集中し、一つの産業集積をなしていた。クラスターの名に値するとも言える。しかし、他の製品系列の例からか考えると、日本全体がポーターの言うクラスターと言って良いのではないか。

 

なぜ、海外に生産拠点は移るのか

日本からの輸出の減少には、日本企業の国内生産拠点の海外移転の影響も無視はできない。海外移転の理由は、マスコミが伝えたように円高による国内の相対的なコスト・アップに対応したものも少なくない。

私たち東レ経営研究所は為替レートが一挙に90円を割り込んだ1990年代後半の時期に、機械産業、繊維産業などの主要企業の事業責任者にヒアリングを行った。その答えは“市場に近いところで生産するという方針”に基づいて、現地生産が可能なものは極力、生産拠点を移すということで一致していた。これは市場へのきめの細かい対応は生産拠点が市場の近くにある方が有利だからである。一方ですり合わせのレベルの高い工作機械、繊維機械などでは、作業員の質、周辺関連産業などの事情で、発展途上国での生産は困難と見ていた。

国内の生産拠点は国内市場に対応すると共に、新製品開発と生産技術開発の拠点「マザー工場」にするというものであった。少なくてもその時点(90年代後半)では、海外で安く作って国内に持ち込むという戦略を取った企業は大手には、大変に少なかった。“賃金の安いところを探して工場を移すなら、永遠に世界の僻地を放浪することになる”と皮肉っていた人もあった。現に今、そうなっている企業もある。決して人件費の安さだけを見ていた訳ではない。

 

事業の市場競争力の構造

製造業の場合、ある企業のある事業が国際市場で発揮する競争能力はその企業の持っている競争力と、その事業が立地している国・地域の持っている競争能力に支えられているのである。その事業が国際市場でどのような競争戦略を採り得るかは、企業の持つ競争能力の構造的特徴に影響される。また、その事業の拠点をどの国・地域に置くかは、その事業が採る競争戦略によって選択されることになる。個々の事業の競争力は、企業の本質的な競争力とその事業が依って立つ競争戦略の選択と立地する地域の持つ競争力の適合性で決まることになる。

図表4-4-2 競争力の構造と地域の特性
(作成:原 陽一郎)

コスト・リーダー戦略を採る場合は、第1にその国の生産要素に着目し、社会基盤・政策も検討の対象になる。差別化戦略あるいはニッチ戦略の場合は、市場の質、科学技術水準、周辺関連産業など生産要素よりは産業基盤がより重要になる。日本の製造業が輸出製品の生産拠点は海外に移しても、マザー工場は日本に置く理由は、日本の産業基盤に魅力があるからである。日本は、とくに市場の先進性と周辺関連産業の強さと層の厚さ、技術の高さで世界の中でも際立った特徴を有している。

藤本隆宏(東大教授、経営学)は、『能力構築競争』の中で、企業の利益・パフォーマンスは表層の競争力(価格、納期、訴求力等)に支えられ、それはその下層の深層の競争力(生産性、適合品質、開発期間等)に支えられ、さらにそれは最深層の「組織能力」に支えられていると説明。経営理念、企業風土は組織能力を決める重要な要素。組織能力は“進化する組織能力”で始めて競争力は持続すると述べている。

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