産業革命の意味

18世紀は人類史の一大転換期

1730年から1850年にかけての120年間は大発明の時代であると同時に、イギリスの社会の最上層から最下層に至るまでの人々の生活を激変させるものだった。イギリスの庶民の生活はのどかな田園生活から産業都市のスラム街の不健康で劣悪な生活に一変した…産業革命にはこのようなネガティブな評価が多かったとバーンスタインは『豊かさの誕生』の中で言っている。産業社会も大きく変わった。大規模な工場が生まれ、工場制生産体制が始まった。資本家が台頭し、会社組織が普及した。資本家と労働者の階層分化が生じ、社会構造も変わった。

フランスの産業史研究家C・フォーランの書いた『産業革命とは何か』によれば、当時のフランスの経済学者はこの変化を“2つの機械、蒸気機関と紡績機は商業体制を覆し、われわれの父の代には知られていなかった物質的財と社会問題とをほとんど同時に生み出した”と評し、ベルギーの学者はこの大変革が“科学革命なくしては生まれなかった”、そして“人間の欲望を拡大させ、それらを満足させる諸手段を増加させた”と分析した。1760年頃から1830年にかけての一連の変化を歴史家アーノルド・トインビーが後に「産業革命」と名付けて、それが一般に広まったといわれる。

この変化は決して偶発的なものではない。オランダ、イギリスを中心に近世ヨーロッパで進みつつあった2つの変化の広がり、すなわち、一つは近代科学の成立と発展、それに伴う技術の変質、もう一つは個人の自由な経済活動を助長する社会システムへの変質。この2つの変化がある臨界点に達し、「イノベーション」が一挙に噴出したのがこの時期だったのである。産業革命はその必然的な結果だった。

この時期を境に「イノベーション」の起こり方が本質的に変わった。長い時間の累積の後にやっと目に見えてくる「イノベーション」を、私たち人類は短期間にどんどんと生み出すことができるようになったのだ。文明史家が指摘するように、産業革命は私たち人類のあり方を根本から変えてしまう人類史の大転換だったのである。

産業革命から経済成長は始まった

W・バーンスタインの『豊かさの誕生』によれば、19世紀初め頃までの世界人口の一人当たり経済成長率はほとんどゼロだったとのこと。世界人口の増加もせいぜい年率0.1~0.5%、したがって、経済成長率は年率0.1~0.5%で、一生をかけてもほとんど変化を感じることはなかった。

産業革命の時期を境に、経済成長が目に見えて分かるようになった。コンドラチェフが分析したように、この時期に世界の景気は大きなうねりを起こした。今日の先進諸国の豊かさの起源は「産業革命」にあるというのが経済学の常識となった。

C・フォーランは“ルネッサンス以降、発明は数多く行われたが、それら発明がすべて産業革命と呼ぶものを引き起こすことはできなかった、産業革命を引き起こしたものは発明というよりも新しい技術の工業部門への効果的な適用であった”と述べ、技術者J・ワットとグラスゴー大学の教授達がエネルギー効率が我慢できないほどに劣悪だったニューコメンの蒸気機関に凝縮器を付けて、画期的な改良を施したことが産業革命の引き金になったとしている。

☆ 蒸気機関の発明…イノベーションの第1号

バーンスタインは蒸気機関開発の物語を詳しく書いている。ニーズに触発されて出てきたアイデア、起業への意欲、技術者と科学者の交流、特許の意味、資本家と事業家の役割、技術進歩と製品の世代交代、異種技術の融合、顧客の創造など、今日のイノベーションのプロセスと基本は違わない。

イギリスの近世、鉄の生産増によって、豊かな森林の多くは消滅した。森林に代わって石炭が使われるようになった。炭鉱が深くなるに従って地下水のくみ出しが大きな課題となった。17世紀の後半、動力としての水蒸気に気付いたのがデニス・バビン(ホイヘンスの弟子)は最初のピストン式蒸気エンジンのモデルを作ったが、実用には程遠かった。

トマス・セイバリーなど2人の発明家がこれを改良して実験をしたが、商業的な成功には達していない。同時代の職人で発明での成功を夢見ていたトマス・ニューコメンはシリンダー内に直接冷水を注入して蒸気を冷やすというアイデアを思いついた。が、特許が問題になった。結局、特許を持っていたセイバリーと協力して作った機械が実際に炭鉱で水汲み用に使われた。1712年のこと。改良が加えられ、出力は当初の5.5馬力から75馬力まで向上したが、熱効率も使い勝手も著しく悪かった。

それから50年後、科学実験器具作りの職人ジェームス・ワットは1764年のある日、グラスゴー大学から実験用のニューコメン・エンジンの修理を依頼された。大学の科学者たちから蒸気の物理的性質を教わった彼はこの機械の本質的な欠点を見抜き、やがて圧縮装置(コンデンサー)を外部に設置するという決定的なアイデアに行き着いた。しかし、発明したこの機械の生産は熟練工と資金の不足で行き詰まって倒産。

その10年後、バーミンガムの工場経営者がこの発明に興味を持ったことと、鉄砲製造業者が砲身を精密にくり抜く技術を完成させたことが結び付き、2人の協力によって、1774年、ワットの蒸気エンジンは初めて工業化されたのである。最初の製品は鉄砲生業業者の溶鉱炉の換気に使用された。

議会がこの発明を後押しし、特許の有効期間を25年に延長。この間にイギリス全土で500台が稼動。紡績工場の経営者が蒸気機関を紡績機械を組み合わせて自動化し、生産性を大幅に向上させた。1787年、フランスで外輪式蒸気船が建造され、1804年、イギリスで高圧蒸気機関車が鉄道輸送に成功した。これが産業革命に広がった。こうして伝統的な動力源の制約から完全に脱却することができた。

バーンスタインは蒸気機関の開発の歴史を、イノベーションが新しいイノベーションを呼ぶイノベーションのシナジー効果の典型的な例としている。

フォーランは産業革命の頃の技術開発には、必ず2つの特徴があったと言う。第一は最初の技術的イノベーションが世に出ると、それによって生じた不均衡を調整するような新しい技術的イノベーションが必要になること。ジェニーやアークライトの紡績機が発明され、さらに両者の長所を結び付けたミュール紡績機が出現すると、それを動かす人の腕力の弱さがネックとして表面化した。そこに人力よりはるかに強力な蒸気機関が現れたわけである。第二は、技術の進歩で、偶然は極めて限られた役割りしか果たしていないこと。そして、産業革命の初期の発明家は実際家、職人、非専門家であり、その独創性は簡単な仕掛けを考え出すことであって、科学と呼ばれるに値するものは何も含まれていなかったが、それが19世紀になると、実際的であると同じほどに理論的で科学的才能が必要となり、偉大な技術の革新は理論的素養と実際的経験を持っている技術者の所業になったと述べている。

マルクスを始め産業革命の研究者たちは産業革命の内生的要因として技術進歩が決定的に重要な役割を果たしたと分析している。革新的な技術が古くからあった産業を高度化し、新しい産業を創出して、市場を膨張させた。ワットの蒸気機関のように産業革命の頃のイノベーションも起業家、市場、資本市場、技術進歩などの要素の関係において後のイノベーションと変わっていない。今日的な「イノベーション」は産業革命から始まった。

資本市場の成立

産業革命が18世紀後半にイギリスで起こったのには、それなりの理由がある。イギリスでは15世紀以降、共有農地の私有化(囲い込み)が進むと共に、農業の生産性も高まり、資産階級を増えた。これが産業革命を支えるアントルプルナー群となったと説明されている。

しかし、バーンスタインはそれだけではないと言う。名誉革命でオレンジ公ウイリアムが1689年、イギリス王に即位し、議会との妥協で「権利の章典」が制定され、民主的立憲君主国家に変わった。これによって政治が安定し、イギリスの金融市場の信用が高まって、政府と民間に低利の資金が大量に流入してきた。イギリスは世界経済の中心となった。

一方で、16,17世紀の大航海時代、遠洋交易のために共同出資による大規模な企業が設立されるようになった。その中で、オランダ東インド会社は継続的な資本を持った最初の株式会社だったとされる。発明品の市場化にも巨額の資本が必要で、その回収にも時間がかかる。リスクの分散とたくさんの投資家の存在が必要となった。

リスクを分散して投資家を増やし、投資先を増やすことで成功の確率を上げる仕組みが資本市場である。資本を唯一供給できるのが資本家に信頼された効率的な資本市場。イギリスにはその条件が整い始めていたのである。イギリスでは、17世紀、共同資本の会社形態が国内事業でも大いに盛んになった。

しかし、出資者は無限責任を負っていたので、現在のリスク分散型の株式会社制度ではない。イギリスでも、株主の有限責任が一般に認められるようになったのは1862年、会社法が制定されてからである。

【目次】イノベーションとは何か

電子書籍の出版に興味がある方へ

「JOURNAL & BOOKS」では、電子書籍の制作・出版をサポートしています。

詳細につきましては、下記のサービスメニューをご確認ください。