イノベーションという言葉

「イノベーション」は経済の専門用語

英和辞典によるとイノベーション、Innovation の訳語は、新しいこと(もの)を採り入れること、刷新、一新、革新となっていて、さらに、新方式、新制度、新製品、新施設、新機軸などが続く。しかし、そのような一般的な理解を超えて、「イノベーション」という言葉はれっきとした経済学の専門用語である。「イノベーション」を専門用語に格上げしたのが経済学者ヨハン・アイロス・シュンペータである。

研究者としてのシュンペータの関心は経済の発展と循環のメカニズムにあった。彼は主著「経済発展の理論」で、“経済発展とは、経済の内部で生み出される経済活動の循環の不可逆的な変化、すなわちシステムの均衡点が移動することであって、この変化の原因は生産側にある”とする。そして、“生産とは、利用しうる資源や力の結合であるから、変化の元は資源や力の結合を変えること(新結合の遂行)、そしてその結合が非連続的あるいは飛躍的な場合に、経済発展に特有な現象が見られる”、すなわち、「新結合の遂行」によって経済は発展すること、これが資本主義経済の本質だと言ったのである。

シュンペータは、最初は「新結合の遂行」と言ったが、これを次の著書『経済循環論』で「イノベーション」と言い換えた。そして、晩年の『資本主義・社会主義・民主主義』では「創造的破壊」とも言っている。必ずしも「イノベーション」に厳密な定義を与えていた訳ではない。

 

誤解を招いた「技術革新」という言葉

日本では、「イノベーション」に技術革新という訳語が当てられた。この発端は1956年の経済白書だったが、その当時、アメリカではやっていたTechnical Innovationに対応する訳語だったようで、この白書の文脈からすると、必ずしもシュンペータの「イノベーション」に対応するものではなかったと考えられる。

しかし、“革新”や“新機軸”(戦前の訳書では新機軸)では迫力がない。結果として「技術革新」という言葉が「イノベーション」の訳語として定着してしまった。そのために、日本では、「イノベーション」は技術の世界の話と見なされて、産業界の中でさえ、正しい理解は広まらなかった。私たち東レ経営研究所は、とくに経済産業省に対して技術革新に変えて「イノベーション」という言葉を使うように繰り返し訴えたが、なかなか変わらなかった。

今では、イノベーションという言葉は驚くほど広く使われるようになった。カタカナ語を嫌った役所もいまやためらいなく使う。国の政策の中にも、堂々とイノベーションという言葉が出てくる。それでも、未だにマスコミではイノベーション=技術革新であり、新しい技術を開発することだという理解を抜け出してはいない。

 

儲かってはじめて「イノベーション」

イノベーションはいまや、時代の流行語だが、経済・産業や企業経営の議論あるいは社会的な問題解決に関わる議論の中で「イノベーション」という言葉を使う以上、シュンペータがどのような意味付けをしていたのかは正確に知っておくべきだろう。

シュンペータ理論から導き出される「イノベーション」の定義は次のようになる。

生産側(供給)での新しい試み(新しい方式の実施、これまでの市場にはなかった新製品、新サービスの提供、新ビジネスの展開など)が、新たな顧客を育て、生産側に利益をもたらし、その結果、社会に新たな付加価値が創造されること。

新しい試みも利益を生みビジネスとして成り立って始めて「イノベーション」。儲かって始めてイノベーションなのである。単に新しいことを試みることではない。経営学者でシュンペータ思想の継承者ピーター・ドラッカーは“資源に対して富を創造する能力を付与すること、資源を真に資源(社会的価値を有するもの)たらしめること”と言った。一方で、OECDは“非市場機関を含めて市場で起こる創造的で相互作用的なプロセス”と言っているが、シュンペータのロジックに基づけば、プロセスではない。結果論である。新しい試みで実際に付加価値が増え、経済が発展しなければ「イノベーション」ではない。

1995年頃の経済産業省はイノベーションを“新しい技術の創出等の創造的活動によって生み出された新しい財やサービスが社会に普及して、経済社会の変革がもたらされること”〔通産省イノベーション研究会〕と認識していた。新技術の創出を前提としているが、古い技術でもイノベーションは起こる。シュンペータは“イノベーションにとって学問的新規性などどうでも良いこと”と言っているし、ドラッカーも技術にも、モノにさえもこだわるべきでないと述べている。日本では、技術革新という訳語の影響か、新しい科学技術をイノベーションの前提に考える傾向が強すぎて、これがイノベーションを難しくしているのではないか。

【目次】イノベーションとは何か

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