イノベーションのドライビング・フォース

イノベーション理論のパラダイム・シフト

イノベーションの具体的な事例を詳細に見ていくと、予兆的な事象があり、イノベーションへと導いたコンセプト、ビジョンが提起され、そこから実際にイノベーションの実現に向けての開発が始まる。そしてイノベーションが実現するまでには、かなりの時間を要している。イノベーションは一般にどのようなプロセスを経て、実現に至るのか。そのことがイノベーション研究者の一つの大きな課題であった。

J.Sundbo(デンマーク、ロスキルデ大学教授、経営学)によれば、イノベーションを生むファクターに3つのコンセプト、すなわち、起業家個人、技術と経済、戦略とトップマネジメントがあり、これまで、こうしたコンセプトを中核にイノベーションのプロセスが説明されてきた〔J.Sundbo “The Theory of Innovation”〕と見られている。Sundboは、最初の頃は起業家コンセプトが主流であったが、次代と共に中心は、技術と経済に移り、さらに現在では、戦略とトップマネジメントに議論の重点が移っていると説明している。

確かに、産業・経済の発展に伴ってイノベーションの様相は変化してきた。ロストウの言うテイク・オフの段階では、個人の起業家の活躍が際立っていたが、成熟期には、技術が注目され、大量消費時代に入って経営戦略の視点でイノベーションが論じられるように変化してきたと見ることもできそうである。

 

テクノロジー・プッシュか、デマンド・プルか

基礎研究の成果が応用研究を経て開発され、新製品が生まれ、新しい産業が興ったという事例は世界中で数多く観察されてきた。電気機械、電気通信システム、合成繊維や石油化学工業などはその代表例である。科学技術の振興がイノベーションを推進するという公理は自然に生まれた。

このような考えを「テクノロジー・プッシュ」と一般に言い、基礎研究⇒応用研究⇒開発⇒事業化、と進むプロセスを「リニア・モデル」と呼んでいる。

ところが、最近のイノベーション研究で、「テクノロジー・プッシュ」論に疑問が出てきた。イノベーションは需要側が引き出すのではないか・・・これを「デマンド・プル」と言う。最近の研究者は次のように言っている〔クームズら『技術革新の経済学』〕

・R&D、発見、イノベーション、経済成長の間の関係は単純でも直線的でもない。もっとも重要な因子は顧客のニーズと市場とのコミュニケーションだ。【クームズ】
・イノベーションのプロセスでは、需要またはニーズがもっとも重要な決定因子。【サセックス大学科学政策ユニット】
・テクノロジー・プッシュは産業発展の初期に相対的に重要であるが、商品開発の成熟期には、デマンド・プルが相対的に重要になる傾向がある。【フリーマン】
・利用者のニーズを理解する良いコミュニケーションと有効な協働関係を持つことが強く成功にかかわっている。【ロスウエル】

このように最近では、「デマンド・プル」説の方が有力。それと同時に「リニア・モデル」は否定的に見られるようになった。東レ経営研究所の事例調査でも、デマンド・プルの例が圧倒的に多い。Sundboによれば、この議論はイノベーションの一つのコンセプト、技術と経済の中心的な課題である。

 

クラインのイノベーション・プロセス

S・クライン(スタンフォード大学)は日米の多くの企業のイノベーション(新製品開発)事例を調査した結果、多くの場合、イノベーションは「市場の洞察(Market finding)」から出発していること、そして、市場からのフィードバック回路がイノベーションの発展に重要であることを見出した〔S・クライン『イノベーション・スタイル』〕。そして、リンクド・チェーン・モデルと呼ぶイノベーション・プロセスの概念図を示した。下に示した図は彼の描いたものを筆者が書き直したものでる。

図表6-1-2 クラインのイノベーション・プロセス・モデル
(作成:原 陽一郎)

このモデルでは、研究の見出す革新技術が必ずしも出発点になるわけではないこと、市場の洞察に基づいて新しいコンセプトを創出し、それに向かって開発が進められること、開発の過程では、既存の技術蓄積が重要であることなどを示唆している。そして、研究は技術の蓄積に新しい科学的知見を追加してく役割を担っていることになる。

クラインの論文は1985年に発表されたが、それが研究開発マネジメントに与えた影響は大きかった。研究開発を企業経営に役立つようにするためには、マーケティング主導でなければならないことを経営に気付かせたのである。このモデルはテクノロジー・プッシュのリニア・モデルの対極、デマンド・プルを代表するモデルとして有名である。

 

デマンド・アーティキュレーション

児玉文雄(東大名誉教授)もイノベーションの事例を分析して、潜在ニーズの早期発掘と独創的な新製品コンセプトの概念構築、その鍵となる要素技術の先行開発がイノベーションの成功要因であることを見つけた〔児玉文雄『ハイテク技術のパラダイム』〕。このプロセスを“デマンド・アーティキュレーション(需要表現と名付けている)

次の2項で、多くの事例を見ていくことになるが、市場創造型のイノベーションにおいてはとくに、このデマンド・アーティキュレーションは存在する。

【目次】イノベーションとは何か

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