イノベーションが人類の歴史を作った

私たち人間だけが“文化的進化”を成し遂げてきた

私たち人間は間違いなく動物の1種類である。脊椎動物門/哺乳綱/サル目(霊長類)/ヒト科に属する1種、学術名ではホモ・サピエンス・サピエンス。ヒト科にはオランウータン、ゴリラが属しており、ヒト族にはチンパンジーがいる。チンパンジーと私たちは遺伝子の上では、わずか1.6%しか違ってないそうだから、外見こそ随分と違っても、中身はそっくり猿なのだ。

そのチンパンジーから分かれた二足歩行ができるようになったのが猿人。猿人は地球上でもっとも歴史の浅い動物種の一つだろう。ところがこの動物は生存のための身体能力に恐ろしく劣っている。足も速くないし、武器となるものも身を守るものも身体に備わってない。その上、難産で、子供の数は少なく(霊長類の中では多産だそうだ)、しかも未熟で弱々しい子供を生むという繁殖におおよそ不利な条件も背負っている。進化イコール進歩でないことの典型的な例だろう。

猿人が現れたのが今から6~7百万年前、そこから身体的な進化が進んで、20種以上の人間らしい動物を生み出したと言われている。生き残る能力が自然選択の基準。ヒト亜属(猿人)は脳を大きくすることと自由に使える器用な手を発達させる方向で進化してきた。現代人の祖、いわゆる原人が現れたのが180万年位前。進化はさらに進んで、旧人と言われるネアンデルタール人が現れたのが50~60万年前、そして15~20万年前、遂に新人、ホモ・サピエンス、つまりわれわれ現代人が地球上に姿を現したらしい。

われわれ現代人はホモ・サピエンスのままである。形質は生物学的に見て、15万年前と現在とは変わっていない。しかし、日常の生活においては、15万年前と今日とではまったく比較にならないくらい差がある。環境適応能力、すなわち安全に快適に、そして豊かに日々の生活を営むということでは圧倒的な違いがある。明らかに環境適応能力が進化した。

つまり現代人は生物学的進化、すなわち遺伝形質の変化、身体的な変化を経ずして“文化的に進化”したのである。これまで地球上に現れた生物のいかなる種にもない驚くべき進化の形態。地球上には、1億1000万種以上の生物がいると言われているが、こんな生物種は他にはまったくない。われわれ現代人はまったく奇跡的な生物なのである。

 

コミュニケーションの力がカギに

ヒト属の進化は環境適応能力が高くなる方向で進んだ。ところが、私たち人類、われわれ人類以外に生き残っているものが一つもないのである。現代人の祖とされるホモ・サピエンス・イダルトゥも、現代人と同じ時期に生存していた親戚筋ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)もことごとく絶滅している。なにが運命を分けたのか。そして、なぜ、文化的進化が進んだのか。

われわれ現代人の出現から今日に至るまでの壮大な歴史は、かなり詳しく分かってきていて、面白い解説書がたくさん出ている。これらの書物は、そのような疑問にどのように答えているだろうか。

ホモ・サピエンスは4万年ほど前、細長い形をした石刃と呼ばれる石器を作り出して、これで投擲具、つまり飛び道具を発明した。NHKスペシャル取材班『Human』は、これがネアンデルタール人との生き残り能力の差になったというジョン・シェイ博士(オーニー・ブルック大学考古学教授)の説を紹介している。投擲具の使用で狩猟の効率は著しく向上した。ホモ・サピエンス以前のヒト属も火を使い、石器を作り、槍も持っていた。しかし、飛び道具の発明が種のその後の運命を決めたのである。

その時期以降、ネアンデルタール人の痕跡は地上から消え去る。ネアンデルタール人は身体的にはホモ・サピエンスより優れていたとされているが、ホモ・サピエンスの「文化」がネアンデルタール人の「身体」よりも環境適応能力が高かったからだとNHKスペシャル取材班(以下、NHKと略称)は言う。ホモ・サピエンスが追求した社会性の高度化が発明に至る創造の文化を作り出したのである。NHKは飛び道具の出現が社会的ネットワークをも発展させることになったのだとも言っている。

それでは「文化」を創り出す力の差はどこから生まれたのか。ホモ・サピエンス、現代人は多様な言葉を使いこなす能力を発達させることができたからだと考えられている。言葉が多いほどコミュニケーションは高度化する。知識と経験は正確に伝達され、世代を超えて蓄積されていく。文化が発展したのである。やがて文字を発明、人間はついに歴史を持つに至った。“はじめに言葉ありき”(福音書ヨハネ伝)だったのである。

『そして最後にヒトが残った…ネアンデルタール人と私たちの50万年史』を書いたクライブ・フレンソン(ジブラルタル博物館長、ネアンデルタール人研究の第1人者)も、ホモ・サピエンスだけが生き残った理由を“能力と運のおかげ”と説明している。その能力とは、より厳しい環境への対応する方策を見つけ出すイノベーションの能力を持った個人としてのイノベーターがいたことである。ただ、ネアンデルタール人は能力が低かったのではなく、運が悪かった、つまり、不適切な時に不適切な場所にたまたまいたせいだとと言うのである。そして、適切な場所とは、生存に適した土地ではなく、環境の厳しい周辺地域だと言うのである。

「人間とはなにか」「人間らしさとはなにか」、この問いこそが人間にとっての永遠のテーマ。チンパンジーとの比較研究が重要なヒントを与えてくれるとNHKは言う。進化の過程で、チンパンジーは「求められると助けるが、あえて先回りして助けない」道を選び、ヒトは「積極的に、ときには先回りして助ける」道を選んだと言うのである。「助け合い」には直接的互恵性(身近な人同士の助け合い)と間接的互恵性(距離と時間を越えた信頼関係による助け合い)があるが、言語の進化が社会的により重要な間接的な互恵性を高めたと考えられている。ヒト亜族の進化は大きな脳とそれ支えやすい身体の特徴を活かし、集団で協力しつつ、知恵と工夫で生き延びる特殊な道を選んで、その結果が文化的進化となったのだ。

高いコミュニケーション能力が集団としての人間の知識のストックを飛躍させ、相互の活発なコミュニケーションがアイデアを生み出し、直面する問題を解決してきた。このような集団全体を巻き込む知的活動がホモ・サピエンスを過酷な環境下で生き残らせ、さらに社会を発展させることで環境適応能力を高めてきたのである。ホモ・サピエンスは“知恵のある者”を意味するのだが、無限の可能性を持つ知的能力の獲得が人間を奇跡の動物に進化させたのである。

 

文明史のキーワードは交換

私たち人類の文明はどのように発達してきたのか。

『鉄・病原菌・銃』の著者、医学者ジャレッド・ダイヤモンドは1万3千年の文明の発達が民族によって異なった原因を地理的環境の違いで説明している。民族間の東西方向の交流の幅が進歩の速度を決めた、ユーラシア大陸はこの点で有利だったと言う。動物学者マット・リドレーの『繁栄』のサブタイトルは“交換と専門的な分業が文明の始まり”としている。投資アドバイザーのウイリアム・バーンスタインは『豊かさの誕生』で近代経済の発展に焦点を当てて、なぜ、どのようにして豊かさへの道が始まったのかを解き明かし、人を動機付け互いに協力しながら何か新しいものを作り上げていく社会的な仕組みの重要性を強調した。そして、NHKの『Human』の重要なメッセージはヒトの進化は“積極的に先回りして助け合う心”の道を選んだこと。『136億年の物語』もホモ・サピエンス生き残りの要因を言葉と飛び道具の発明だとしている。

全体を通じて共通する人類の文化的進化のキーワードは「助け合い」と「交流・交換」になる。人類の歴史の本質は力で勝ち残ることではなかった。そして、これらの著作に共通していることは、意識してか無意識かは別として、イノベーションを語っていることである。「繁栄」のキーワード、“アイデアのセックス”はまさにイノベーションのきっかけを生み出す行為。『豊かさの誕生』が挙げた人類の進歩と経済成長への4つの条件、財産権の確立、科学的合理主義、資本市場、輸送と通信手段の進歩はイノベーション・システムを支える必須要件なのである。そして、いずれもが産業革命に多くのページを割いている。産業革命が人類の歴史の大きな転換点になったのである。さらに、将来について楽観的なところも共通している。環境変動との闘いは人類史を貫く最大のテーマ、獲得したイノベーションの能力で、人類はこれらの社会環境の激変をも乗り越えていけると確信しているのである。

6万年ほど前、ホモ・サピエンスは故郷アフリカの草原を出て新天地を求めて旅に出た。グレート・ジャーニーと呼ばれる。より豊かな生活を求めてのことだっただろう。寒冷化が進む4万年ほど前、「飛び道具」の発明は人類にとって起死回生のイノベーションだったことになる。これを第1の波とすると、1万3千年前に農耕を始めたのが第2の波である。工業化は250年ほど前に起こった。産業革命が第3の波である。そして、今、知識社会に向けて第二の産業革命“第4の波”が私たち社会全体を巻き込んで進んでいると考えられている。われわれ人類の歴史はイノベーションの視点で語ることができるのである。

マット・リドレー(科学啓蒙家)は、その著『繁栄』の中で、人類学者ジョセフ・ヘンリックの言葉“人間は名高い人物の真似をすることでお互いから技能を学び、ごく稀には進歩と呼ばれるような間違いを起こすことでイノベーションを行う”を引用して、お互いを結び付いている人口が多いほど、手本となる人物の技能は高く、生産的な間違いを犯す確率は高くなる、だから、交易のネットワーク、すなわち集団的頭脳の大きさが文明の発達に重要だったと結論付けている。

そして、グレート・ジャーニーの始まりのころ、数百人程度の集団だったと想像されているホモ・サピエンスは今、70億人。今日の人間は、馬よりも速く走り、大海原も平然と渡り、空さえも飛ぶことができる。それだけではない。人間同士は地球のどこにても互いに交信することが出来、どこれ起こったことも現場にいるように見ることができる。人間の意志に従って、遠くにあるものに力を及ぼすこともできる。今日の人間はまさに神の如き力を備えた生き物なのである。

“ヒトを人間にしたもの”、それがイノベーションだったのだ。

【目次】イノベーションとは何か

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