技術の進歩と私たちの生活

技術進歩の意味

現代人ホモ・サピエンスの進化の歴史の中で、その進化のベースとなったコミュニケーション能力があるイキ値を超えたところから、恐らく技術の進歩は人々の意識の中にしっかりと組み込まれたに違いない。より高い技術を持つ人は仲間の間に伝えられ、尊敬されるようになった。人から聞いて知識を増やす、経験を積んで技能を磨く、道具を工夫することで個人のレベルでの技術は進歩する。これが集団で共有されることで技術の進歩は定着し、累積する。

人類にとって必要な技術は先ず、衣食住に関する技術と医療の技術。豊かさが広い領域での交換・交易によってもたらされたという説に従えば、次に情報伝達と移動、運搬に関する技術も古くから重要視されたに違いない。

こうした技術は文明が栄えた地域で少しずつ進歩してきた。技術の進歩には3つの目的がある。第一は質と生産性の向上、第二は自然の制約からの脱却、そして、第三はより高い欲求に対応するための新しい財やサービスの創出である。

 

生産性と質の向上

生産性とは、1人が単位時間内に生産する量(あるいは金額)、質とは、いわゆる品質だけでなく、利便性、耐久性、安全性なども含まれる。人々は少しでも質の良い財やサービスをより少ない経営資源で効率よく作りたいと考える。その進歩の経緯を古い技術、織物技術と時計技術で見てみよう。

 

織物技術の進歩…原理は同じで、いかに質と生産性を高めてきたか

織物技術は洋の東西を問わず太古の昔から基本原理は変わっていない。その進歩の歴史はまったく同じ原理を踏襲しながら質と生産性を向上させた珍しい事例である。

縦糸に横糸を交絡させて布にする。縦糸を互い違いに二つに割って、その間に横糸を納めたヒを通して横糸を入れてオサで打つ、これを繰り返す。この道具が機織り機である。生産性は糸の横入れの速度に支配され、質は織物の広幅化である。この2つが一貫した課題であった。

1733年、ジョン・ケイ(イギリス)は飛ヒを発明した。従来はヒを人の手で左右に渡すため、幅の広い布は作れなかったが、ヒに小さい車をつけて紐を引っ張って左右に飛ばす仕組みを作った。生産性は約2倍になったとのこと。彼はこの発明の目的を“幅の広い織物を正確に織るため”といい、生産性は強調しなかったが、職を奪われることを恐れた職人の強い反対運動で、この機械の普及には時間がかかった。

1785年、カートライトは縦糸の開口、糸の横入れ、オサ打ちが連動する力織機を発明した。これとジェームス・ワットの蒸気機関が組み合わされて、人力を離れた。質の高い織物が飛躍的に高い生産性の下に大規模に生産されるようになった。
より生産性を高めるための次の課題は横糸の自動補給。これに挑戦したのがアメリカ人のジェームス・ノースロップで、1894年に最初の自動織機を発明した。

豊田佐吉は1924年に究極の自動織機「豊田G型織機」を開発した。機械が自ら判断して働く自動化を実現したもの。生産性は15倍も上がった。これ以降約50年間、G型を越える有ヒ型織機は出現しなかった。
飛びヒを用いる限りこれ以上の生産性向上は困難。ヒを使わない技術の可能性が模索された。ジェット方式、グリッパ方式、レピア方式などである。ジェット方式が今日の主流となっているが、これを世界に広めたのは日本の織機メーカであった。ジェット織機によって生産性は5倍以上に向上した。

〔豊田自動織機、トヨタ産業技術記念館〕

 

時計技術の進歩…新しい技術で質と生産性を向上

時計技術も古代から必要とされ長い歴史を持つ。時計の技術的課題は、質の向上、すなわち正確さと簡便性を高めることにあった。もちろん、生産性の向上、コストの低下で一般社会への普及のニーズもあった。この技術的な課題に時計技術では新しい技術を導入することで進歩してきた。

もっとも古い方式は流体の一定の流れを利用する連続流下方式、日時計も含まれる。この方式は世界各地で使われていた。
14世紀頃、ヨーロッパで棒テンプを用いた非周期方式の機械時計が生まれた。なぜか、機械式時計はヨーロッパ以外からは出てきていない。

17世紀後半頃から振り子のような一定の振動現象を利用する共振制御方式に転換する。振り子は近代科学の成果の応用である。これによって時計の正確性は格段に向上し、利便性も高まった。18世紀初め、ハリソンが持ち運び可能なクロノメーターを発明して、遠洋航海の安全性は改善され、ヨーロッパは貿易で莫大な富を得るようになった。日本の和時計はヨーロッパから輸入されたものをモデルに日本独特の時間文化に合わせて開発されたものである。現在、世界の時計技術の基本は共振制御方式である。

簡便性の究極の姿は腕時計で、テンプを振動子とし、ぜんまいを動力源とする共振制御方式の機械式腕時計はヨーロッパで19世紀後半に開発された。20世紀中ごろには、スイスで技術は完成の域に達した。スイスの腕時計は精度の高さで世界の市場で評価され、最大の腕時計生産国になった。スイスの成功は国を挙げて時計技術の向上に取り組んだからと言われている。技術進歩は微細加工の精度を上げることにあった。スイスはその高い技術が国外への流出を防ごうとして、腕時計用の工作機の輸出を禁止した。

スイスでの最高級技術でも、1日に生じる誤差は20~30秒で、これ以上の精度向上は原理的に不可能。精度を上げるためには、共振特性がシャープで長期に安定している振動子を用いる必要がある。最初の試みは時計メーカー・ブロバ(米)が音叉を振動子に用いるもので、誤差は2秒/1日を実現したが、実用性は乏しかった。
音叉、電波や水晶振動子が次の技術の候補と考えられていた。クォーツ(水晶振動子)時計のプロトタイプは1927年、マリソン(米)が試作して実用性を確かめている。スイスの時計メーカーも開発を始めていた。大型の時計でのクォーツ化は比較的簡単に実現した。東京オリンピックのときに、セイコーグループの開発したクォーツ式クロノメータがはじめて実際の時計に使われた。

諏訪精工舎(現セイコーエプソン)は水晶振動子(クォーツ)式腕時計の開発に成功した。制御はメカトロニクス、動力は電池で従来の時計技術とは技術体系がまったく異なる。1969年、世界最初のクォーツ式腕時計が発売された。誤差は1ヶ月に3秒程度、機械式では考えられない精度の高さである。技術は年を追って進歩し、1980年代後半には、あらゆる点で機械式を凌駕した。世界の腕時計の9割はクォーツ式に置き換わった。

低コストを利用してファッション・ウオッチというジャンルが生まれた。時計機能が機械製品に広く組み込まれて機械の自動化に大いに貢献するようになった。現在は電波が応用され、時計の誤差は完全に解消された。

〔セイコー・エプソン、セイコー・ミュージアム〕

質と生産性の向上は技術進歩のもっともベーシックな動機で、織物技術、時計技術の例のように、ここでは「経験的技術」が主役を演じる。経験と技能の伝承はその重要性を失ったわけではない。

 

自然界の制約条件からの開放

第二の方向は自然界の制約からの解放である。これは主として天然資源の枯渇によってニーズが顕在化する。

イギリスでは、中世以降、製鉄の需要が増加したが、これに対応して森林が次々と消えていった。これが石炭採掘に向かわせ、採炭技術が進歩した。蒸気機関は炭鉱で湧き出す水の汲み上げようとして開発されたものである。エネルギー資源は石炭からより採掘し易く、燃料としての質も良い石油に、さらには天然ガスへと移っていった。そして、原子力発電が生まれ、再生可能なエネルギーの開発が、今、精力的に進みつつある。この背景には、常に資源枯渇と自然環境の破壊への危機感がある。

この方向では、「科学的技術」が圧倒的に貢献している。その例として化学肥料と合成繊維について詳しく説明したい。

 

化学肥料の発明…近代科学の理論の成果

化学肥料の開発は「科学的技術」の持つ力を示す典型的な事例である。しかし、技術シーズは新しい発見ではない。科学的理論からの予測に基づいている。また、産学連携の優れた成功事例でもある。

18世紀以降、世界的な人口の増加に伴い、食糧の増産が求められた。耕地面積当りの収穫量を増やすために肥料が有効であることは広く知られるようになった。当時の肥料の最大の供給源はチリ硝石だったが、その量には限界があった。これに危機意識を持った化学者W・クルックス(英)は19世紀末のある日、王立協会の会長講演で“チリ硝石が枯渇する前に、化学者は肥料問題を解決し、近い将来予想される食糧危機を乗り切る努力をしなければならない”と訴えた。

これに応えて3つの空中窒素固定法の研究が始まった。その一人が化学者F・ハーバー(独、カールスルーエ工科大学教授)である。彼は熱力学と触媒理論の応用で、空気中の窒素からアンモニアを合成できると考え、この可能性を実験室で追求した。この技術を工業化するためは高温、高圧の化学処理が必要になる。この工業技術の開発に協力したのが化学会社BASF(独)。ハーバーとK・ボッシュ(BASF社)の協力で、1911年、ハーバー・ボッシュ法(空中窒素固定法)は完成した。

1913年、BASFは商業プラントを建設し、化学肥料が大量に生産されるようになった。クルックスが望んだようにチリ硝石の枯渇する前に肥料問題は解決し、食糧問題に悩まされることなく世界の人口は増え続けている。マルサスの悲劇は回避された。

〔『化学の技術史』〕

 

合成繊維の出現…科学的実験の成果

合成繊維の開発も科学研究の成果が生み出した例、偶然の発見もあった。ナイロンの発明は初めから目的を持った科学的思考錯誤の成果である。

18世紀後半、化学者たちは溶媒に溶かしたときに特殊な性質を示す天然物質、セルローズやタンパク質などの化学構造の解明に強い関心を持った。それまでの化学の常識では説明できなかったからである。

1920年代後半、化学者H・シュタウディンガー(独)は天然の有機材料が炭化水素を骨格とする巨大な鎖状の分子で構成されていることを見出した。これが高分子説である。これがきっかけとなって、世界の化学者たちは天然の有機材料の不足を補おうと、木材、天然繊維、天然ゴムに代わる高分子材料を人工的に合成しようと競い合った。そして、ベークライト樹脂やメチルゴムなどの人工高分子材料が開発され、実用化された。

ハーバード大学から化学会社デュポン(米)の中央研究所に招聘されたカローザスは天然繊維に替わる高分子材料の合成を目指した。天然繊維の代表は絹。絹を構成している蛋白質については、エミール・フィッシャー(独)が化学構造を解明し、合成法も見出されていたが、絹を意識してポリアミドを狙ったわけではない。実用になる合成繊維を見つけるために、片っ端から重合体を作って、糸にして物性を評価した。その過程で偶然発見したのが冷延伸という現象で、これが合成繊維の基本技術となった。その時のポリマーがたまたまナイロン66だった。

1934年、デュポンはナイロンの開発に成功したと発表した。糸としての優れた質に世界は衝撃を受けたと言われている。最初の用途は絹に代わって女性用のストッキング、そして軍事用のパラシュート。これに刺激を受けて世界中で合成繊維の研究開発が活発化した。

日本においても、高分子の研究は進んでいたが、絹製品を輸出の主力にしていただけにそのショックが大きかった。1939年、産学官が参加した日本合成繊維研究協会が設立され、国家プロジェクトとして合成繊維の組織的な研究開発が展開された。東レはナイロン6(カローザスのナイロンとは化学構造が違う)を、クラレが日本独自の合成繊維ビニロンを担当し、共に開発に成功した。20世紀後半、合成繊維産業は世界の花形産業となったが、日本の合成繊維産業も国際市場で大きな存在となった。

一方で、石油の熱分解で生ずるエチレン、プロピレンなどを原料として、多くのプラスチック材料が開発され、生産されるようになった。これが石油化学工業で、世界の成長産業となった。日本が欧米からの技術導入に依存した。

〔小野輝道『溶融紡糸技術』〕

合成繊維が存在しなければ、現在の世界の衣生活の水準を保つには、世界の耕作面積の10数%を綿花の生産に当てる必要がある。現在の世界のプラスチックの年間生産量は日本の木材伐採量の21年分に相当する。合成繊維とプラスチックの発明と産業化は自然環境への負荷を相当な程度軽減したことになる。

 

新しい財やサービスの創出

新しい財やサービスを創出することは、質と生産性の向上のためにも、自然界の制約からの脱却のためにも必要なものだが、こうした身近なニーズから生まれたものではない新しい財・サービスの創出がある。こうした類の技術進歩が私たち人類の精神生活を豊かにしてきた。

マズローの欲求の5段階説によれば、人の欲求は5つの階層で構成されている。もっとも根源的な生存の欲求(第1段階)が満たされると、その上位にある健康の維持や財産の保全への欲求(第2段階)に移り、これが満たされると、その上位の愛、友情、社会への帰属の欲求(第3段階)へ、さらにその上位には、社会的地位や尊敬を得ようとする欲求(第4段階)、そして最上位が自分らしい生活、自分にしかできないことを成し遂げようとする自己実現の欲求(第5段階)がある。自己実現には満足水準がないので、人の欲求には際限がないことになる。

新しい財やサービスの創出は第3段階以上の欲求、社会的尊敬や自己実現への欲求に対応するものと見なすことができる。高価なブランド品や芸術性の高い製品などはこうした高次のニーズに応えるものである。

IT技術は人類にとって必要な情報伝達に関する技術ではあるが、それ以上に私たち個人個人の自己実現に向けての可能性を大きく拡げると共に、人類社会存立の基盤と考えられている人々のつながりのあり方を根本から変えてしまう可能性をも秘めている。今日のデジタル・ネットワークを構成するさまざまな要素技術がどのようにして開発されてきたのか、これは決して歴史の必然でも偶然の産物でもない。今日、私たち人類を新しい時代に導きいれようとしているIT技術、パソコンとインターネットは、たった1人の人間、ヴァネーヴァ・ブッシュが頭の中に描いたビジョンに引っ張られて生まれ出たのである

【目次】イノベーションとは何か

電子書籍の出版に興味がある方へ

「JOURNAL & BOOKS」では、電子書籍の制作・出版をサポートしています。

詳細につきましては、下記のサービスメニューをご確認ください。